失われた子ども時代

許された世界、禁じられた世界:全体主義が子どもたちに示した境界線

Tags: 全体主義, 子ども, 情報統制, 文化統制, プロパガンダ, 検閲, 歴史

はじめに

情報が溢れる現代社会に生きる私たちは、インターネットや書籍、テレビなど、様々な手段を通じて世界中の情報に触れることができます。しかし、歴史を振り返ると、情報や文化へのアクセスが国家によって厳しく管理されていた時代がありました。特に全体主義体制の下では、大人の世界だけでなく、子どもたちの世界もまた、体制の管理下に置かれていました。

この管理は、子どもたちが何を学び、何を見聞きし、どのように考え、感じるかに深く影響を与えました。今回は、全体主義が子どもたちに「許された世界」と「禁じられた世界」という境界線を示し、それが子どもたちの心や成長にどのような影響を与えたのかを見ていきたいと思います。

全体主義下の「許された」情報と文化

全体主義国家にとって、子どもたちは未来を担う存在であり、体制のイデオロギーを浸透させるための重要な対象でした。そのため、子どもたちが触れる情報や文化は、国家の都合の良いように厳選され、作られました。

例えば、学校の教科書だけでなく、絵本や児童文学、歌、映画、雑誌なども、体制の理念や英雄、国家の偉大さを賛美する内容で満たされていました。子どもたちは、特定の人物を「英雄」として尊敬することを学び、国家の勝利や建設を称える歌を歌い、体制に忠実な生き方を奨励する物語を読み聞かせられました。

【写真1】は、当時の体制が出版した子ども向け雑誌の一例です。そこには、愛国心を鼓舞する漫画や物語、体制のリーダーを崇拝する記事などが掲載されています。これらの媒体を通じて、子どもたちは幼い頃から「正しい」とされる価値観や歴史観を自然と吸収していきました。

厳しく「禁じられた」もの

一方で、体制にとって不都合な情報や、多様な価値観を育む可能性のある文化は、徹底的に排除されました。外国の書籍や音楽、映画はもちろんのこと、体制を批判する内容や、自由な思想、人間らしい葛藤を描いた作品なども禁書とされたり、上映・放送が禁止されたりしました。

子どもたちは、かつて親しんでいた物語の主人公が突然登場しなくなったり、特定の歌を歌うことが許されなくなったりといった経験をしました。体制側は、子どもたちの健全な発達のためだと謳いながら、実際には、体制の維持に役立たない、あるいは危険とみなされるあらゆる情報や文化を子どもたちから遠ざけたのです。

ある証言者は、戦後に初めて外国の児童書を読んだ時の衝撃を語っています。「それまで読んできた本とは全く違う世界がそこにあった。自由に空想し、冒険する物語。体制の話なんて一切出てこない。自分がいかに狭い世界に閉じ込められていたのかを知って、胸が苦しくなりました。」と述べています。

子どもたちの心に刻まれた境界線

このように、「許された世界」と「禁じられた世界」という明確な境界線の中で育った子どもたちの心には、様々な影響が刻まれました。

まず、何が真実で何が嘘なのかを見分けることが難しくなりました。体制から与えられる情報は一方的であり、疑問を持つこと自体が危険とみなされる環境では、子どもたちは自然と体制の言うことを鵜呑みにするようになります。一方で、親や信頼できる大人から、体制とは異なる「本当の話」を聞かされることもあり、子ども心に混乱や葛藤が生じました。

また、禁じられたものへの強い好奇心や憧れを抱く子どもたちもいました。隠れてラジオを聞いたり、親がこっそり隠し持っていた本を読んだりすることで、「禁じられた世界」の存在を知り、それが子どもたちの内面に秘かな反発や抵抗心を育むこともありました。しかし、その行為が発覚した場合のリスクは高く、常に恐怖と隣り合わせでした。

【動画】で当時のプロパガンダ映像の一部を見ることができますが、そこには子どもたちに向けられた非常に感情的で扇動的なメッセージが含まれています。このような映像を繰り返し見せられることで、子どもたちの感情や価値観は大きく揺さぶられました。

子どもたちは、自分が何を見て、何を言い、何を考えるべきかについて、常に注意を払うことを強いられました。これは、子どもたちの自由な発想や探求心を制限し、健やかな自己肯定感や多様性を尊重する心を育む上で大きな障害となりました。

現代社会への示唆

全体主義下で子どもたちが経験した「情報や文化の統制」という問題は、決して過去の出来事として片付けられるものではありません。現代社会においても、フェイクニュースの拡散、インターネット上のフィルターバブル、特定の情報源への依存などにより、私たちは知らず知らずのうちに偏った情報空間に閉じ込められる可能性があります。

過去の歴史は、子どもたちが多様な情報や文化に触れることの重要性を教えてくれます。様々な視点や価値観に触れる機会を奪われた子どもたちは、批判的思考力や他者への共感力を育みにくくなります。

私たちは、子どもたちが情報リテラシーを身につけ、多様な文化に触れる機会を保障することの重要性を改めて認識する必要があります。そして、何が「許された情報」であり、何が「禁じられた情報」なのかを、権力ではなく、私たち自身の理性や倫理観に基づいて判断していく力を育てていくことこそが、全体主義の悲劇を繰り返さないための大切な教訓と言えるでしょう。

まとめ

全体主義体制が子どもたちに示した「許された世界」と「禁じられた世界」という境界線は、子どもたちの感性や価値観形成に深刻な影響を与えました。国家によって厳選された情報や文化だけが与えられ、自由な発想や多様な視点に触れる機会を奪われた子どもたちの経験は、情報が溢れる現代社会に生きる私たちに、情報への自由なアクセスと批判的思考の重要性を改めて問いかけます。

過去の歴史から学び、子どもたちが健全な判断力と豊かな感性を育むことができる社会を築いていくことが、私たちの責任ではないでしょうか。