失われた子ども時代

奪われた宝物:全体主義が子どもたちの手から取り上げた「もの」

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子どもにとっての「もの」の意味

子どもたちが大切にしているものには、単なる物品以上の意味が込められています。お気に入りのおもちゃ、家族からもらった小さな宝物、友達との交換日記、自分で集めた石ころや葉っぱ。それらは、安心感を与え、思い出を宿し、子どもたちの個性や世界観を形作る大切な要素です。

しかし、全体主義体制下では、こうした子どもたちの個人的な「もの」さえも、国家の管理や統制の対象となることがありました。なぜ、子どもたちの小さな宝物までが奪われたり、あるいは利用されたりしたのでしょうか。そして、それは子どもたちの心にどのような影を落としたのでしょうか。この記事では、全体主義が子どもたちの手から取り上げた「もの」に焦点を当て、その歴史と子どもたちの経験をたどります。

全体主義と「もの」の統制

全体主義国家は、国民一人ひとりの生活の隅々にまで統制を及ぼそうとします。それは、人々の思想だけでなく、物質的な所有物にも及びました。国家にとって都合の悪い思想につながるもの、体制のイデオロギーに反するもの、あるいは単に国家が必要とする資源となりうるものなど、さまざまな理由で個人の所有物が管理、没収されることがありました。

子どもたちの「もの」も例外ではありませんでした。例えば、体制に批判的な内容を含む本やおもちゃは「危険」と見なされ、没収の対象となりました。また、記念品や家族の写真などは、過去の体制や「古い価値観」を想起させるとして、破棄が推奨されたり、場合によっては強制的に取り上げられたりしました。

さらに、子どもたちの個人的な持ち物が、国家のプロパガンダや物資調達のために利用されることもありました。特定の品物(例えば、鉄くずや古紙など)を集めることが「愛国的行為」として子どもたちに奨励され、競争心を煽るキャンペーンが行われたりしたのです。子どもたちが大切にしていた、あるいは家族の思い出が詰まった品物が、容赦なく「資源」として集められ、失われていきました。

ある子どもは、祖母からもらった大切な人形を、学校での資源回収で提出せざるを得なかったと回想しています。「あれはただの人形じゃなかった。おばあちゃんの匂いがして、抱きしめると安心できたんです。でも、先生は『国の役に立つことの方が大切だ』と言いました」と、その時の喪失感を語っています。

【写真1】は、ある国で没収された子どもたちの物品の山を示しています。色とりどりのおもちゃや本が、無造作に積み上げられている様子は、多くの個人的な物語が失われたことを物語っています。

失われた宝物と子どもたちの心

大切な「もの」を奪われることは、大人にとっても辛い経験ですが、子どもにとってはさらに大きな影響を与えることがあります。子どもたちは、特定の「もの」を通して世界を理解し、感情を表現し、自己を確立していきます。おもちゃは遊びを通して創造性を育み、本は知識や想像力を広げ、思い出の品は家族や過去とのつながりを感じさせます。

これらの大切な「もの」が権力によって一方的に奪われる経験は、子どもたちに深い喪失感と無力感をもたらします。なぜ自分の大切なものが取り上げられるのか理解できず、大人や社会に対する不信感を抱くこともあります。また、自分の持っているものがいつでも失われるかもしれないという不安は、安心感を損ない、委縮した心理状態を引き起こす可能性があります。

ある子どもは、家族写真が当局によって持ち去られた後、家の壁に何も飾られなくなった部屋で、常に寂しさと恐怖を感じるようになったと記しています。「写真があった頃は、家族の笑顔が私を守ってくれるようだった。でも、それがなくなってからは、自分が透明になったみたいでした」と。このような個人的な思い出の破壊は、子どもたちのアイデンティティの形成にも影響を与えたと考えられます。

【図A】は、ある時期の学校における「個人所有物検査」の実施頻度を示したものです。こうした検査が常態化することで、子どもたちは自分たちの持ち物に対する愛着を持つことを避けたり、大切なものを隠そうとしたりするようになりました。密かに宝物を隠し持っていた子どもたちの、見つかることへの恐怖心も想像に難くありません。

現代社会への示唆

全体主義下で子どもたちの「もの」がどのように扱われたのかを知ることは、現代社会に生きる私たちにいくつかの示唆を与えてくれます。

まず、私たちの身の回りにある「もの」が、単なる物質ではなく、多くの思い出や感情、そして自己の一部を宿しているということです。特に子どもたちにとって、それは成長の過程でかけがえのない役割を果たします。現代社会においても、子どもたちが安心して自分たちの世界を広げ、大切なものを守れる環境を作ることの重要性を改めて認識させられます。

次に、権力が個人の所有物や表現の自由をどこまで制約しうるのか、という問いです。デジタル化が進んだ現代では、私たちの思い出や大切な情報は物理的な「もの」だけでなく、データとして存在します。しかし、それが権力によって監視されたり、アクセスが制限されたりする可能性は、歴史上の「もの」の没収と無関係ではありません。

【動画】では、当時の体制による「不要物排除」を奨励するプロパガンダ映像の一部を見ることができます。個人の大切なものを「不要」と見なし、集団の利益や国家の目的のために利用するという思想の危険性は、時代が変わっても忘れてはならない教訓です。

宝物が語る歴史

全体主義が子どもたちの手から取り上げた小さな宝物は、それぞれの時代を生きた子どもたちの喜びや悲しみ、そして失われた日常の物語を静かに語っています。おもちゃの一つ一つ、破られた本のページ、隠し持たれた写真。それらは、権力の波に翻弄されながらも、自分自身の大切なものを守ろうとした子どもたちの小さな抵抗や、純粋な心そのものの証です。

歴史から目を背けず、子どもたちの経験に学ぶことは、個人の尊厳が守られる社会、そして子どもたちが安心してそれぞれの宝物を育むことのできる未来を築くために不可欠です。私たちは、失われた宝物が教えてくれる教訓を、心に刻み続ける必要があるのではないでしょうか。