失われた子ども時代

奪われたおとぎ話:全体主義が消そうとした子どもたちの想像力

Tags: 全体主義, 子ども時代, 想像力, 物語, 歴史

はじめに:子どもの心とおとぎ話

子どもたちの成長にとって、おとぎ話や物語は、ただ楽しいだけでなく、心を育む大切な栄養のようなものです。善悪を学び、未知の世界に思いを馳せ、登場人物に共感することで感情の幅を広げ、困難に立ち向かう勇気を得る――。想像力という翼を広げ、世界を豊かに感じる力を育む上で、物語は欠かせない存在と言えるでしょう。

しかし、もし、その大切な物語の世界が、ある日突然、権力によって奪われてしまったとしたら、子どもの心はどうなってしまうのでしょうか。この記事では、全体主義体制下で子どもたちからおとぎ話や自由な物語がどのように取り上げられ、それが子どもたちの内面にどのような影響を与えたのか、そしてその歴史から私たちが現代社会で何を学ぶべきかを探ります。

全体主義が「不適切」とした物語

全体主義体制は、人々の思考や感情をも統制しようと試みます。それは子どもたちの世界にも例外なく及びました。体制にとって不都合な思想や価値観を含む物語や文化は、「危険なもの」「不適切」として排除の対象となりました。

例えば、 * 個人主義を賛美する物語 * 体制やリーダーを批判的、あるいは風刺的に描いたもの * 伝統的な価値観や宗教に関連するもの(体制が特定のイデオロギーを強制する場合) * 外国の影響が強いとされるもの * 非現実的、幻想的すぎると見なされ、現実の「正しい」労働や国家奉仕から子どもたちの注意をそらすと判断されたもの

こうした基準に基づき、多くのおとぎ話や児童書、さらには絵画や音楽といった芸術作品までが、子どもたちの手から遠ざけられ、あるいは完全に禁止されました。学校図書館の本は検閲され、書店から特定の書物が撤去され、公の場で語られる物語の内容は厳しく管理されました。

【写真1】は、ある国で行われた焚書の様子を示しています。子どもの本を含む多くの書物が炎上させられましたが、その中には、何世代にもわたって子どもたちに読み聞かせられてきた物語も含まれていたのです。

子どもたちの心の風景を変えたもの

おとぎ話や自由な物語が失われた代わりに、体制は子どもたちに「新しい物語」を提供しました。それは、体制やリーダーを賛美し、敵対者を悪く描き、子どもたちを国家の忠実な一員として育てるためのプロパガンダに満ちたものでした。

学校教育もまた、この新しい物語を浸透させる場となりました。教科書は書き換えられ、偉人伝は体制に都合の良い人物や功績で埋め尽くされました。子どもたちは、国家への献身や集団行動の重要性を繰り返し教えられました。

【図A】は、当時の子ども向け雑誌や教科書の挿絵に見られる、体制を賛美する内容や、子どもたちが一律の制服を着て行進する様子などが頻繁に描かれていたことを示しています。

このような環境で育った子どもたちは、どのような影響を受けたのでしょうか。

ある手記には、禁止されたおとぎ話を親から隠れて読み聞かせてもらった幼い頃の記憶が綴られています。「お母さんが小さな声で読んでくれた、昔ながらのお話。学校で教わることとは全然違う世界でした。あのお話を聞いている時だけは、少しだけ別の場所にいけるような気がしたのです」。

また、別の証言からは、体制が提供する物語しか知らなかった子どもたちの混乱や、心の拠り所を失った様子がうかがえます。「私たちが読むことのできた本は、どれも国の強さや敵の恐ろしさばかりを説くものでした。昔からあるお話は『古い考えだ』と教えられました。楽しかったはずの絵本も、なんだか怖くて、つまらないものになってしまいました。心の中に、何も綺麗なものがないような、寂しい気持ちでした」。

子どもたちは、想像力を働かせる自由な遊びや、多様な価値観に触れる機会を奪われ、画一的な思考や感情を持つことを強いられました。これは、子どもの健全な精神発達や、多様性を尊重する心を育む上で、計り知れない負の影響を与えたと言えるでしょう。子どもたちの内面世界は狭められ、他者への共感力や、自ら考え判断する力が育まれにくくなった可能性が指摘されています。

【動画】で当時の子ども向けプロパガンダ映像の一部を見ることができます。そこには、特定の価値観のみを植え付けようとする強い意図がうかがえます。

現代社会への示唆:物語が持つ力

過去の全体主義下での子どもたちの経験は、現代を生きる私たちに大切な示唆を与えてくれます。

一つは、物語や表現が持つ力の大きさを再認識することです。自由な物語に触れる機会は、子どもたちの想像力を育むだけでなく、多様な価値観を知り、他者に共感し、批判的に物事を考える力を養います。これらの力は、変化の激しい現代社会を生き抜く上で不可欠なものです。

また、現代社会においても、情報過多の中で特定の情報や価値観のみが強調されたり、SNSなどで共感よりも誹謗中傷や画一的な意見が蔓延したりといった状況が見られます。これもまた、人々の思考や感情、特に若い世代の価値観形成に無自覚な影響を与えかねません。過去の歴史は、「何を読むか」「何を見聞きするか」を自ら選択し、多様な情報源に触れることの重要性を教えてくれます。

さらに、子どもたちが自由に発想し、感じたことを表現できる環境を守ることの重要性も忘れてはなりません。絵を描いたり、歌を歌ったり、物語を紡いだりといった創造的な活動は、子どもたちが自己を表現し、感情を処理し、心のバランスを保つ上で極めて大切です。全体主義がこれを奪ったことは、子どもたちの心の健康を深く傷つけたと言えるでしょう。

私たちは、子どもたちの周りにある物語や情報が、特定の意図によって歪められていないか、子どもたちの想像力や多様な価値観に触れる機会が十分に確保されているか、常に意識し続ける必要があります。

結論:子どもたちの心と想像力を守るために

全体主義体制下で、子どもたちからおとぎ話や自由な物語が奪われた歴史は、私たちの心に重く響きます。それは単に本がなくなったというだけでなく、子どもたちの内面世界、想像力、多様な価値観を育む機会が失われたことを意味するからです。

子どもたちの心に豊かさと自由な発想の光を灯すためには、多様な物語や情報に触れる機会を守り、自由に表現できる環境を大切にすることが不可欠です。そして、私たち大人自身が、歴史から学び、特定の価値観を強制することなく、子どもたちが自らの頭で考え、心で感じ、健やかに成長できる社会を築く責任があるのではないでしょうか。

過去の教訓を胸に、子どもたちの未来と、その中に宿る豊かな想像力を守っていくこと。それは、現代社会を生きる私たちに課せられた大切な使命と言えるでしょう。