奪われた言葉：全体主義が子どもたちの声を消した時代
はじめに：子どもにとっての「声」と「言葉」
私たちの誰もが、幼い頃から自分の気持ちや考えを言葉にして伝えることを学びます。嬉しい、悲しい、これしたい、あれ嫌だ。そうしたささやかな「声」は、子どもたちが世界を理解し、他者と繋がり、自分という存在を築いていく上でかけがえのないものです。
しかし、もしその「声」が、ある日突然奪われたとしたら、どうなるでしょうか。全体主義体制の下では、まさにそのような事態が起こりました。子どもたちは、自分の心のままに話すことを許されず、時には真実を隠し、あるいは体制にとって都合の良い言葉だけを口にすることを強いられたのです。
この記事では、全体主義が子どもたちの「言葉」や「声」にどのような影響を与えたのか、当時の子どもたちの経験に光を当てながら、その歴史を振り返ります。そして、彼らの失われた声から、現代社会を生きる私たちが学ぶべきことについても考えていきたいと思います。
全体主義が子どもたちの言葉を奪った背景
全体主義体制は、人々の思考や感情、行動を国家のイデオロギーの下で徹底的に管理しようとします。そのためには、まず「言葉」の統制が不可欠でした。新聞、ラジオ、教育、芸術、そして家庭での会話に至るまで、国家の思想に沿わないあらゆる表現が制限され、検閲されました。
子どもたちも例外ではありませんでした。むしろ、まだ思想的に染まっていない子どもたちは、将来の国家を担う「純粋な国民」として、早期からの思想教育と「正しい」言葉遣いの徹底が図られました。学校は単なる学びの場ではなく、国家の思想を注入する機関となり、家庭での会話も密告の対象となりうる状況でした。
このような環境では、子どもたちは自然と自分の言葉を選ぶようになります。無邪気な疑問や、体制への不満、あるいは家庭で聞かされた「非国民」的な考えなど、少しでも危険だと思われることは口に出せなくなりました。
「言えない」恐怖と「言わされる」苦痛
全体主義下の多くの子どもたちは、「言えない」ことによる強い恐怖と不安を抱えていました。
- 真実を隠す子どもたち: 学校で教わることと、親や祖父母から聞かされることが違う。でも、学校で学んだことだけを「正しい」と言わなければならない。もし本当の気持ちや家庭での会話をうっかり話してしまったら、どうなるのか。子どもたちは幼いながらに、言葉の裏に潜む危険を感じ取り、本心を隠す術を身につけていきました。ある手記には、「家に帰ると、学校で言われたことを言わないように、お母さんも黙っているように、といつも言われた」という記述が残されています。
- 問いかけが許されない雰囲気: なぜ戦争をするの？ なぜあの人は捕まったの？ なぜお腹がすくの？ 子どもは本来、疑問を投げかけ、世界を理解しようとします。しかし、全体主義体制下では、体制の決定や現状に対する疑問は許されませんでした。先生や大人の顔色をうかがい、問いかけることをやめた子どもたちの姿があったことでしょう。
- 「言わされる」ことの苦痛: 一方で、子どもたちは体制を賛美するスローガンを叫ばされ、歌を歌わされ、集会で定型的な言葉を繰り返させられました。【動画】で当時のプロパガンダ集会の様子を見ると、子どもたちが一斉に同じ言葉を叫んでいる様子が分かります。自分の内面とは異なる言葉を発することを強いられることは、子どもたちの心に大きな負担をかけたはずです。体制への忠誠を誓う言葉を口にしながら、心の中では疑問や恐れを感じていた子どもたちも少なくなかったでしょう。
【写真1】は当時の学校の教室の様子です。壁には指導者の肖像画やスローガンが掲げられ、子どもたちの周囲は常に体制の思想に満ちていました。このような環境で、子どもたちが自分の言葉を持つことがいかに難しかったか、想像に難くありません。
また、密告を奨励された子どもたちは、親しい友人の言葉さえも疑わなければならない状況に置かれました。信頼していた相手の言葉が、自分や家族を危険にさらすかもしれない。そうした疑心暗鬼は、子どもたちの純粋な人間関係を深く傷つけ、言葉の持つ「繋がる」力を失わせました。
現代社会への示唆
全体主義下で子どもたちが経験した「言葉の統制」は、私たち現代社会を生きる者にとって、重い教訓を投げかけています。
現代では、情報化が進み、インターネットやSNSを通じて様々な情報が瞬時に拡散します。一方で、匿名性の中で飛び交う心ない言葉、特定の意見を持つ人々への激しいバッシング、あるいは「炎上」を恐れて自分の本音を言えない「忖度」する風潮などが見られます。これは形を変えた「言葉の統制」ではないでしょうか。
全体主義が直接的な権力によって言葉を奪ったのに対し、現代では「空気」や「同調圧力」、あるいはアルゴリズムによる情報操作などが、人々の言葉や考え方を歪める可能性を持っています。子どもたちも例外ではなく、SNS上での人間関係や評価を気にするあまり、自分の本当の気持ちを表現できなかったり、あるいは他人の悪口に同調してしまったりすることがあります。
歴史を振り返ることは、過去の過ちを繰り返さないために重要です。全体主義が子どもたちの声に何をしたのかを知ることは、現代社会において「自由に、安心して話せる」環境がいかに大切か、そしてそれを守るために私たちが何をすべきかを考えるきっかけになるはずです。
教育の場では、子どもたちが安心して自分の疑問や考えを発言できる雰囲気を作り、多様な意見があることを学ぶ機会を与えることが重要です。家庭でも、子どもたちの小さな声に耳を傾け、「ここでは安心して話していいんだよ」というメッセージを伝え続けることが大切です。
結論：失われた声に耳を傾ける
全体主義下で「言葉」を奪われた子どもたちの経験は、私たちに多くのことを教えてくれます。彼らの沈黙の裏には、恐怖や不安、そして本来なら声に出したかった無数の言葉が隠されています。
彼らの失われた声に耳を傾けることは、単に過去を知るだけでなく、現代社会における言葉の重みや、自由に表現できる環境の尊さを再認識することに繋がります。私たちが彼らの経験から学び、子どもたちが安心して自分の言葉で語り、他者と繋がり、成長できる社会を築いていくことが、何よりも大切なことなのではないでしょうか。