失われた子ども時代

心の中の隠しごと:全体主義下の子どもたちの信仰と思想

Tags: 全体主義, 子ども, 信仰, 思想, 自由, 人権, 歴史

心の中の隠しごと:全体主義下の子どもたちの信仰と思想

全体主義体制は、人々の生活のあらゆる側面に深く入り込み、思想や感情までもを統制しようとしました。特に子どもたちは、その純粋さゆえに体制のイデオロギーを浸透させる格好の対象とされましたが、同時に家庭や地域社会で育まれた異なる価値観や信仰との間で、複雑な葛藤を抱えることになりました。

物理的な制約や労働、プロパガンダといった影響については他の記事でも触れてきましたが、この記事では、全体主義が子どもたちの心の内側、特に信仰や思想の自由にどのように影響を与えたのかに焦点を当てていきます。これは、目に見えにくい、しかし子どもたちの成長にとって非常に重要な側面です。

弾圧される信仰、植え付けられる思想

全体主義国家の多くは、特定の宗教を否定したり、あるいは体制の都合の良い形で利用したりしました。国家のイデオロギーこそが唯一絶対の真実であり、それ以外の思想や信仰は排除されるべきものと見なされたのです。

子どもたちは、学校で国家の英雄や指導者を称える教育を受け、無神論的な世界観や特定の政治思想を繰り返し教え込まれました。例えば、体制側のプロパガンダ映像である【動画】を見ると、子どもたちがいかに幼い頃から特定の世界観に晒されていたかが分かります。一方で、家庭では親や祖父母から伝統的な信仰や異なる価値観を伝えられていました。

この「学校で教わること」と「家庭で教わること」の大きな隔たりは、子どもたちの心の中に混乱や戸惑いを生じさせました。どちらが「正しい」のか、あるいは、どちらも大切にしたいけれど、どうすれば良いのか、幼い心には理解しがたい問いが突きつけられたのです。

「外では絶対に話してはいけないこと」

多くの全体主義体制下では、家庭での信仰に関する習慣(祈り、聖書の朗読、特定の宗教行事など)は、公の場では隠さなければならない秘密となりました。子どもたちは親から厳しく「この話は家の中だけで、外では絶対に誰にも話してはいけない」と口止めされました。

例えば、ある手記には、幼い子どもが毎日寝る前に家族と一緒に隠れて祈っていたこと、その祈りの内容が学校で習ったこととは全く違うため、誰かに聞かれたらどうしようと怯えていた様子が綴られています。また別の証言では、宗教的な祭日に家でひっそりとお祝いをした後、学校でそのことについて聞かれないか心配でたまらなかった、と語られています。

【写真1】は当時の一般的な学校の様子ですが、このような場で子どもたちは常に監視されているような感覚を抱いていたのかもしれません。友達と無邪気に話す中で、うっかり家の秘密を漏らしてしまわないか、常に気を張っていた子どももいたでしょう。これは、子どもたちの間に不信感や孤立感を生む原因ともなりました。

信仰や思想の違いを理由にした差別も存在しました。【図A】は、特定の宗教集団に属する家庭の子どもたちが、教育や社会参加において不利益を被った事例を示しているかもしれません。子どもたちは、自分たちのアイデンティティの一部である家庭の価値観が、社会では否定される現実を突きつけられ、深い傷を負いました。

心の中に築かれた壁

全体主義下の子どもたちは、自分の心の中に二つの世界を持つようになりました。一つは、体制が求める「正しい」世界。もう一つは、家庭で受け継がれた、あるいは自分自身で静かに育んだ「本当の」世界です。この二つの世界の間に築かれた見えない壁は、子どもたちの心を分断し、内面に深い孤独感を生み出しました。

信じることをやめさせられた子、信仰を隠し続けた子、体制側の思想を内面化させることで生き延びようとした子。それぞれの選択の裏には、幼いながらに自らの心と向き合い、葛藤し、傷ついた経験があります。

現代社会への示唆

全体主義体制は過去のものとなった場所が多くありますが、私たちはそこから何を学ぶべきでしょうか。

思想や良心の自由、信教の自由は、現代社会における基本的な人権です。子どもたちが、家庭や学校、社会において多様な価値観に触れ、どれか一つに強制されることなく、自ら考え、判断する力を育む環境は保障されているでしょうか。

多数派の意見や特定の流行、あるいはインターネット上の情報などによって、子どもたちが暗黙のうちに特定の考え方に誘導されたり、異なる意見を持つことが難しくなったりする現代社会の傾向はないでしょうか。

かつて全体主義が子どもたちの「心の中の隠しごと」を秘密裏にしようとしたように、現代においても、子どもたちが自分の内にある本当の気持ちや、多数派とは異なる考えを、安心して表現できる場所はあるでしょうか。

結論

全体主義が子どもたちに与えた影響は、物理的な苦痛や剥奪に留まらず、その心の奥深くにまで及んでいました。信仰や思想の自由を奪われた子どもたちは、家庭と社会の間で引き裂かれ、心の中に秘密や葛藤を抱えながら成長せざるを得ませんでした。

彼らの経験は、私たちに思想や信条の自由がいかに尊いものであるかを改めて教えてくれます。そして、現代社会を生きる私たちが、子どもたちの多様な心を守り、安心して自分の考えを育める環境をどのように築いていくべきか、静かに問いかけているのではないでしょうか。

この記事が、全体主義下の子どもたちの見えにくい苦悩に光を当て、現代社会における自由や多様性の意味について考える一助となれば幸いです。