小さすぎる肩に負わされた重荷:全体主義下の子どもたちが担った『大人』の役割
子ども時代に、大人びた重荷を負わされるということ
子どもは、本来、守られ、育まれる存在です。無邪気に遊び、学び、少しずつ社会を知っていく時間が必要です。しかし、全体主義体制下では、この子ども時代が大きく歪められ、多くの子どもたちが、その小さな肩に不相応な重荷を負わされました。彼らは、まだ心身の発達が十分でないにもかかわらず、「大人」として、あるいは大人以上に厳しい役割や責任を強いられたのです。
このテーマについて考えることは、単に過去の歴史を知るだけでなく、現代社会における子どものあり方や、社会全体で子ども時代を守ることの重要性を改めて認識する上で、大きな意味を持つと考えています。
全体主義が子どもたちに強いた「大人」の役割
全体主義体制は、国民全体を国家の目標達成のために動員しようとします。その対象は子どもたちも例外ではありませんでした。むしろ、思想的に染まりやすく、体力がある程度つけば労働力や兵力になり得る子どもたちは、体制にとって非常に重要な存在でした。
子どもたちに強いられた「大人」の役割は、多岐にわたります。
労働力の代替として
戦争や政治的な粛清によって大人の働き手が不足すると、子どもたちはその穴埋めとして駆り出されました。工場での単純作業、農場での重労働、あるいは街頭での物売りなど、長時間労働を強いられる子どもたちが多くいました。学校へ行く時間も、遊ぶ時間もなく、ただ日々の糧を得るため、あるいは体制のために働かされたのです。
【写真1】は、ある国で戦時中に工場で働く子どもたちの様子を示しています。その表情には、本来子どもが持つはずの明るさよりも、疲労や諦めが見て取れます。
家族を支える柱として
全体主義下の混乱は、家族の絆を引き裂きました。親が政治犯として逮捕されたり、戦争で命を落としたりすると、残された子どもたちは幼い兄弟の面倒を見たり、一家の生活を支えたりする責任を負わされました。食料の配給を受けるための長い行列に並んだり、闇市でわずかな食べ物を手に入れるために危険な目に遭ったりすることもありました。
ある少女の手記には、以下のような記述があります。 「お母さんが連れて行かれてから、私が妹の面倒を見るようになりました。まだ5歳なのに、お母さんの代わりにならなきゃって、毎日怖くてたまりませんでした。食べるものを見つけるのが一番大変でした。妹がお腹を空かせて泣くと、私が泣きたくなりました。」 このような、年齢からは考えられないような重圧が、子どもたちの心に深く刻み込まれていきました。
体制維持のための道具として
さらに深刻なのは、子どもたちが体制維持のための道具として利用されたことです。学校では徹底したプロパガンダ教育が行われ、「体制に忠実な子ども」が模範とされました。教師や親の言動を監視し、当局に報告するよう教えられた子どももいました。これは、子どもたちに「密告」という大人の役割を強いるものであり、親子の信頼関係を根底から破壊する行為でした。
【動画】は、当時の少年団が行進する様子です。彼らは幼いながらも大人と同じような制服を着て、行進や訓練に参加させられています。これは、子どもたちが「小さな兵士」として育てられ、体制に貢献するよう仕向けられていた一例です。
無邪気さを奪われた子どもたち
こうした「大人」の役割を強いられた子どもたちは、本来の子どもらしい感情や行動を抑圧せざるを得ませんでした。泣くこと、怖がることは弱さと見なされ、常に強く、体制に順応しようと努力しました。遊びや想像力は、体制にとって無用、あるいは危険なものとして排除される傾向にありました。
彼らの心の中には、年齢不相応の責任感、恐怖、そして本来許されるはずの無邪気さを失ったことによる悲しみや戸惑いが渦巻いていました。外見は大人びた振る舞いをしていても、その内面はまだ子どもであり、そのギャップに苦しんだ子どもも少なくありませんでした。
現代社会への示唆
全体主義下の子どもたちが強いられた「大人」の役割は、私たちに多くのことを問いかけます。
まず、「子ども時代が保障されること」の重要性です。安心して遊び、学び、失敗しながら成長できる環境は、子どもが健やかに発達するために不可欠です。社会全体で、子ども時代を守り、彼らが年齢相応の経験を積めるように配慮する責任があることを再認識させられます。
次に、「教育」の役割です。全体主義下の教育は、子どもを体制の都合の良いように染め上げ、思考停止を促しました。現代社会においても、教育が単なる知識の詰め込みではなく、子どもたちが自ら考え、批判的に物事を捉え、多様な価値観を理解する力を育むものであることの重要性を改めて考えさせられます。
また、「社会のひずみが子どもに与える影響」についても示唆を得られます。全体主義のように極端ではなくとも、貧困、格差、親の過重労働、地域社会の衰退など、現代社会の抱える問題は、子どもたちに少なからず影響を与え、年齢以上の重荷を負わせている可能性があります。私たちは、そうした社会のひずみが子どもたちの健やかな成長を阻害していないか、常に注意を払う必要があります。
終わりに
全体主義の下で、小さな肩に重すぎる荷を負わされた子どもたちの経験は、胸が痛むものです。彼らは、大人たちの都合や狂気によって、本来あるべき子ども時代を奪われました。
彼らの経験は、過去の出来事として片付けるべきではありません。それは、子ども時代というものが、いとも簡単に、そして残酷に歪められ得ることを教えてくれます。そして、現代社会に生きる私たちが、子どもたちが子どもらしくいられる環境をどのように守り、育んでいくべきかという問いを、私たち一人ひとりに投げかけているのです。